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のれんに関連した知識 のれんの歴史

のれんの歴史について

元々は白無地であるのれんに何らかのメッセージを入れるようになったのは鎌倉時代のことで、その後の室町時代にはたくさんの商家が独自の意匠を入れて、店の屋号や業種を人々にアピールするようになりました。

しかし、それは文字ではなく動物や植物或いは天文や地理記号といったものでした。
記号を使った理由は当時はまだ文盲が多かったからです。

江戸時代に入り庶民の識字率が高くなると、文字が入った暖簾が広く使用されるようになりました。
特に寛永・延宝時代(1624~1681)には屋号、業種、商品名を染め抜いた白抜きのデザインが多く、これは商売人にとって大切な広告媒体となり普及していきました。

のれんの色の使い分け

この時に素材にも変化が見られ染色が難しい麻から染色がしやすい木綿に変わっていき、いろいろなカラーを使用するまでに至り、のれんもバラエティに富んだものになりました。

江戸時代には店先に飾るだけでなく、目隠しや間仕切りとして寝室や納戸などの入り口にも用いられました。

たかが一枚の布なのに、今では店の入り口になくてはならないものになっています。

歴史的に見ると昔は寒さを防ぐだけに使われたものから、その後は商売用の屋号として人々にアピールするというものに変化していきました。

暖簾のカラーの意味について

現代では染料や生地、染色技術、設備などはのれんを作る上では進歩が顕著ですが、昔は技術があまり発達していなかったので、染めるのが簡単な麻布の藍染めがほとんどでした。

その後は染めやすい綿の生地が普及すると様々なカラーのものが出てきました。

綿生地と色

歴史的にみるとのれんのカラーにも意味があり、堅実な商法がモットーである商家は藍染での藍や紺のカラーを多く使いました。
藍の香りは虫が嫌うので虫が寄り付かなくなる利点があり、これを利用して酒造業や呉服商が好んで藍を使いました。

白は砂糖のイメージから菓子商や食べ物関係の商人が使ったと同時に薬関係の商人も使いました。これは砂糖が以前は薬として使ったからだと言われています。

少し黄みが入った茶のカラーは特に煙草商に使用されました。
柿のカラーのものは遊女屋の店先にかけられるようになり、その後は大きな料亭でも同じカラーのものが使われました。

紫は本来高貴な人だけが用いるのですが、金融機関から借金した人は返済が完了するまで紫の暖簾をかけておかなければならないといったエピソードもあります。

このように、どんなカラーを使うかで意味が違ってくるとは興味深いものです。今後も日本古来の伝統を大事にしていきたいものです。